追悼。
先日、地元に住む高校時代のラグビー部の同級生が亡くなった。約9年に渡る闘病生活の末、力尽きた。9年のうちほとんどは普段の生活とは変わらない日々だったそうだ。(もちろん仕事は徐々に負担を軽くし、最近退職し家事だけは手伝いたいと身体を動かしていたそうだ。)
2人のお子様は大学生と高校生。幼い頃から父親が重大な病気を抱えていると聞かされて育ったそうだ。2人とも礼儀正しくてしっかりしていて、本当に頼もしい若者。
家族の困難を共有しながら、仲良く支え合って来たこれまでの時間の蓄積を、昨日弔問に行った際に肌で感じた。
病気を抱えながらも自分の生活スタイルを貫き、いつも家族の中心にいて、くだらないことで家族を笑わせていたそうだ。彼らにしか分からない笑いのツボがあり、笑い声の絶えないかけがえのない日々だったとのこと。
コミュニティの最小単位の「家族」。病気に限らず経済的な危機や子供に関する問題。色々な壁が人生には立ちはだかるものだ。一人では乗り越えられない苦難も家族(たとえ2人でも)がいるといないでは全く違う。
旅立った彼も無念ではあるだろうが、家族と共にあった日々はキラキラ光る何物にも変え難い、素敵な素敵な時間だったのだろう。
ほどなくすれば、私たち他のメンバーも天に昇る。すぐに全員揃うだろう。そっちの世界でまたボールを回そう。ちょっと待っててな。
Netflixを批判するのはお門違い
野球の祭典WBCが始まって、日本の決勝トーナメントが始まったところだが、先日スレッズでとある投稿を見かけた。
Netflixに加入しないと試合を観ることができないなんて酷い話だ。せっかくの機会なのに日本の野球人口が増えない。子供達がかわいそう。Netflixの金儲け至上主義の姿勢はけしからん。という趣旨だった。
これを見かけた時の私の感想は、???だった。
そもそもWBCを企画運営しているのはメジャーリーグとその選手会の2団体。開催の目的は利益追求。高校野球やオリンピックとは全く違う。
だからこそ放映権をできる限り高く売りたい。150億円でも買ってくれるところは無いかと募ったところ、Netflixが手を挙げた。スポンサー料としての収益しか見込めないテレビの仕組みでは、とても回収不可能。日本のテレビ局が放映権を独占したと仮定しても、せいぜい30億しか入ってこないそうだ。
サブスクという視聴者一人一人が料金を払う仕組みだからこそ、150億円でも投資する価値があると判断したのだろう。ライブ映像を一部テレビ局に放映させる戦略を取れば、Netflixに加入する価値が下がる。独占するのは当たり前だ。
昨今の選挙結果を見ても、偏向報道が激しいテレビを始めとするオールドメディアはすでにオワコンだ。自宅のネット環境を整えて、テレビにインターネットを繋いでサブスクに加入しないと、楽しい時間が減って行く。
世の中の変化に抗うことは愚かだと思う。柔軟に対応すればするほど、充実した時間を過ごせると思う。
人生で2番目の激痛
急性歯性炎症。過去に治療済みの歯の根には通常隙間があり、そこにも常在菌がいて免疫が落ちたりなどいくつかの要因が重なって悪い菌が勢力を増してしまうのが原因。
下の奥歯だったこともあり、化膿して大きく腫れてしまった今回のケースは、重症と呼ばれる一歩手前だったそうな。膿を出すために道を作ってから、排膿までの24時間が地獄の苦しみだった。細かい神経が受注している顔面。顎の骨に膿が溜まり内圧がかかるのだからそりゃ痛いわ。
ジッとしてられず、狭い家の中を歩き回っていた。1時間の睡眠を二回取れたかどうか。記憶も曖昧だ。ロキソニンでは全く痛みを抑えられず、4時間は間隔をあけなければならないのに、3時間おきに飲んだこともあった。絶対やっちゃダメですよ。ボルタレンをもう一日早く出してくれていればもう少し楽だった。後の祭りだ。
辛いのは痛みだけではなかった。これはただ事じゃないかもしれない。明日どうなるのか見通しが全く見えない。このまま開業医に診てもらうだけでいいのか?そんな不安が痛みとともに押し寄せ続けることだった。
10日でほぼ全快。なんでも食べれる幸福を実感している。健康の尊さを再確認。そうそう、今回の痛みは人生2番目だ。1番の激痛は30代前半の頃に突如発症した尿路結石。女性に言わせると陣痛より痛いらしい。
民度たけぇ!
年明け2日〜4日までの営業が無事に終わりました。今年も例年通り本当に多くのお客様にご来店いただきました。ほとんどが帰省中の方々だと思いますが、旅行中に立ち寄った方々も含まれていたようです。
11時頃から15時半頃まで満席状態で、お座敷については平均35分待ち。長い方だと45分くらいお待たせする場面も発生しました。初めて来店される方にとっては、空席待ちの方法や混み具合、スマホでのモバイルオーダーなど当店独自のスタイルに戸惑う事も多かったと思います。
シフトの兼ね合いもあり、2日も3日も珍しく私自身が入り口で案内係を担当した為、いつもよりお客様と直接やり取りする場面が多く新鮮でした。
特に印象的だったのは、自己中心的なわがままを言うお客様が皆無だったこと。私の貫禄のせいで従うしかなかったという説もありますが.....いやいや毅然とかつ丁寧に案内できていたという自己満足ということにさせてください。
と言うのは冗談で、本当に皆様が紳士的と言いますか協力的で、民度がたけぇ!外国人旅行者が口々に日本のいい所を挙げると決まって「人」と言うのが納得。
ここ5、6年でさらに皆様のマナーが向上したような気がします。各家庭の親や学校の教育の賜物か、SNSの普及で飲食店スタッフの気持ちを理解してくれる人が増えたのか、色々と要因はありそうです。実は年末年始だけでなくここ数年ずっと体感してきました。
ま、確かにいまだに首を傾げたくなるようなお客様はゼロではないですが、かなり減りました。お客様が協力的でお店側がスムーズに業務を進められるということは、お客様にとってもストレスが減り満足が得られやすい好循環が生まれます。まさにwin-win!!本当にありがたいことです。
来年に向けて
少年時代に比べておっさん世代は時間の流れが3倍早く感じるらしい。確かに一年なんて20代の頃の3ヶ月くらいの体感なのだが、皆さんどうでしょう?
初めて体験することが少なくなって、ほとんどが経験済みだから日々の生活に刺激が無く、毎日が単調に感じて時間の流れが速く感じる。
新しい趣味を始めたり、体験したことのない活動をすると同じ一年でも充実感が得られるのだと思う。確かにいろんな副業に挑戦したり、好奇心旺盛で行動力のある人はいくつになっても若々しい。
時間の経過は避けられないので歳をとるのは仕方ないとして、より健康に心も豊かに生き生きしながら歳をとりたい。なのでたとえ上手くいかなくても億劫にならずに色々なことに挑戦して、後悔しない日々を送りたいと思う。
とりあえず来年は、あんまりグチグチ考えずにまず行動!みたいなフッ軽な習慣を身につけるのが目標なのだ。
商売とは。
昼の勤務が終わり夕方まで休憩するため駐車場を歩いて自分の車に向かっていたら、食べ終わったご夫婦のお客様が、「今日もおいしゅうございました!」と、笑顔で声をかけてくれました。私服に着替えていた私を店主だと認識して声をかけてくれたのです。
店の人とは言え、声をかけるのは個人差はあるものの誰でも少しは緊張はするだろうし、エネルギーを使う。そのストレスを乗り越えてわざわざ声をかけてくれました。
また、その翌日には会計の際に初老のお客様が「相変わらずいい味でした!」と声をかけてくれました。
満足したことをわざわざ表明してくださるお客様は確率からして、氷山の一角です。声をかけてくれる人はほんの一握りなのは明白です。基本的には何も言わずに足繁く通ってくれるのが普通のパターンです。
満足を提供できていることを実感をするたびに思うのは、商売は社会貢献だということ。誰かの役に立っているからお金を払ってくれる。そこに利益が生まれて継続ができる。この原則を忘れて儲けることそのものが目的になってしまうとうまく行かないことが多いもの。
商売とは?みたいな質問をされたらいつもこんな話をしています。
「歳をとる」のは素晴らしい
仕事が休みの朝、気持ち良く晴れていて暑くも寒くもないちょうどいい季節にウォーキングに出かけて歩き始め、心地いい風が顔にあたると心から幸せだと実感する。

大災害や有事が起きていたら、ウォーキングなどと悠長なことは想像もできない。まぁ、昨今の熊騒動は災害に近いが...。

たとえ世の中が平穏でも自分や家族が病気だったり、商売が傾いていたり、病気じゃなくても近しい誰かが大きな問題を抱えていたら気持ち良くウォーキングなどできるだろうか?
朝、元気に起きてウォーキングに出かけられることが当たり前じゃないと最近強く実感するようになった。10年前は商売が傾いていてそんな心境に浸るような状況ではなかった。じゃ、20年前はそんな気持ちになっただろうか?
20年前の私と言えば29歳。アラサーの若僧がそんな気持ちになるはずもない。要するに歳をとったということか?
「歳をとる」という言葉はいかんせん、ネガティブな響きで悪いことしか思い浮かばないのが普通だ。でも歳をとったおかげでただウォーキングに出かけただけで幸福感に浸れる。そんな気持ちを獲得できたのは、色々な経験を経て今の年齢になったからこそ。
幸せだなと感じられるということは、同時に感謝の気持ちも生まれる。他愛も無いことに感謝できるだけで気持ちが前向きになり良いことが起きる気がする。「歳をとる」のも悪くない。