今日は久しぶりに疲れた。店の業務で疲れたのではない。自分の親のせいだ。毎日一緒に仕事をするようになって、落胆というか諦めるしかない残念な面を多々近くで見ることを強いられている。
いいところがあるのは分かっている。生きた時代が違えば価値観が違うのも分かる。それを差し引いてもがっかりすることが多過ぎる。
平均寿命まではまだ時間があるが、彼らが亡くなった時、私は息子として何を思うのだろう。弔辞で何を話せばいいのだろう。取り繕ってお茶を濁す挨拶ならいくらでもできる。ま、大人はそうするものだろうな。いいところだけ並べればそれなりの弔辞になるのだろう。
自分が年齢を重ねれば重ねるほど、親を客観的に冷静に評価してしまう。若い頃は何も分からなかった。色々な経験を通して、色々な人たちと関わることで、自分や自分の周りの人間を客観的に評価してしまう。
評価すればするほど残念な気持ちになる。反面教師として前向きに捉えながら日々生きていけばいいと分かっている。しかし親子だからこそ耐えられなくなる時がある。
何歳になろうと自他愛、謙虚さ、向上心、好奇心、感謝の気持ち、そういった人間性の成長をこれからも大事にしながら生きて行こうと思う。