〜ラーメン屋店主のだらだら日記〜

岩手県北上市で、ら〜麺屋めん丸北上インター店をやっとります。創業40年❗️地域の皆様ありがとうございます😊

あの日の私。

普通に仕事をして、当たり前の午後を過ごしていた。始めはいつものよくある地震だと思った。しかしどうも揺れが強い。そして異常に長く止まらない。いつもと違う❗️と思った頃には揺れがいったん弱まりおさまったと思った。一瞬安堵したその瞬間、一気に強い揺れに襲われた。

 

ただ事じゃないと事務所を飛び出して、非常階段を駆け下りた。外に出ると大勢の人達が呆然と落下物を気にして上を見上げていた。電柱が左右にグラインドして電線が長縄跳びのようにうねっていた。

 

何をどうしていいか分からず、家族の元に向かった。カーラジオから普段は聞いたことが無い様子の声が響いていた。地元局のベテランアナウンサーが焦りを抑えながら、半ば叫ぶように津波の到来を告げる注意喚起をエンドレスで叫んでいた。

 

停電で信号機が消えて戸惑う運転手達のために、近くの工事現場にいたと思われる警備員が、率先して車を整理していた。私は自分の為だけに行動しているが、果たしてこれでいいのだろうかと一瞬ためらった。しかし心の中で頭を下げながら妻のパート先に向かった。

 

同じ岩手県でも内陸に住む私達は停電やインフラの被害くらいで、1ヶ月もすれば日々の生活はほぼ日常に戻った。しかし沿岸地域は津波にやられ世界が変わっていた。発生の日から1週間後に大船渡と陸前高田に救援物資を運ぶために向かい、被災したエリアに入った瞬間この目を疑った。私が乗っていたマイクロバスの中は突然静まり返った。窓から見える範囲が全て瓦礫。TVの映像では伝わらなかった惨状を目の当たりにした。

 

子供の頃家族でよく行き、2歳の息子を連れて親子3人で行ったこともある高田松原海水浴場が当たり前だが跡形もなかった。各避難所の切羽詰った雰囲気。小中学校の校庭に並ぶ自衛隊の車輌とテント。全国から集まった電力会社の高所作業車。9年経った今も鮮明に覚えている。

 

この日、個人的には直接の知り合いや親戚を亡くしたわけではないが、一瞬にして1万8,500人の命を奪った。

 

毎年、今日の14時46分に手を合わさずにはいられない。